こんにちは。
「桜が散り始めて残念だなぁ…」
といった私に
「あら、若葉の葉桜も素敵よ!」
と声を返してくださった80代の女性。
…先輩の過去ではなく今を見据えるお姿に感服です。
「いろはにほへと…」
まさにこの域に達せらるのかと思いました。
みなさんは「いろは歌」はご存知ですか?
私は詩吟を学んでいた時、最初に発声練習で使うのがこの「いろは歌」でした。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
かな文字47がすべて入った歌です。
50音表の余白に書かれたものも見かけますね。
意味は、
花は咲いても散ってしまう
永遠に生きるということはない
無情なこの世を今日も乗り越え
儚い夢から覚めて悟りを開く
なんとも奥深いですね。
日本中を行脚した弘法大師が作ったのではないかと言われている歌です。
※諸説あり
私はこの歌を「ことば」の変化として考えます。
私は「ことば」は生き物だという表現をよく使います。
言語学を学んでからそう思うようになったのですが、
同じ言葉でも時代によって意味が違うことがあります。
最近のことばの変化としては、
「全然」でしょうか。
もともと否定を強める言葉でしたが、
「全然いいね!」
と肯定の意味を補うものに変化しました。
ことばはコミュニケーションの一つです。
極論では、双方が理解できていれば表出される言葉はなんでもいいのです。
隠語というのはまさに、それでしょう。
隠語→特定の仲間や専門家内だけで通用する専門用語。
隠語が広く一般化され世間の周知が行き届くと、それはもう新しい日本語なのです。
日本語として認められるのは、辞書で扱われるかがポイントですかね?
産まれる言葉もあれば、消え去る言葉もあります。
ことばの世界も諸行無常なんです。
最後に言語学からの持ちネタを一つ。
奈良時代は「母」は「パパ」と発音されていました。
性別変わっちゃってます(^^♪